本日、1月17日。あの未曾有の震災から31年目の朝を迎えました。
ちょうど一年前の今日、私は神戸市会議長として、この場所で追悼の言葉を述べさせていただきました。平成7年1月17日午前5時46分。突然、この街を襲った大地震により、私たちの日常は破壊されました。多くの尊い命が失われ、慣れ親しんだ街並みは見るも無残な姿となり、その日の光景は今もなお、鮮明に私の目に焼き付いています。しかし同時に、私たちは全国、そして世界中の方々から寄せられた温かい支援の手に救われました。
令和5年、私は全国815の市議会議長で構成される「全国市議会議長会」の会長という重責を仰せつかりました。私がこの大役に立候補したのは、震災時に神戸がいただいた計り知れないご支援に対し、今度は私が先頭に立って全国へ「恩返し」をしたいという強い一念があったからです。
会長就任後、能登半島地震が発生した際には、即座に全国815の市、区議会議長に対し、議長会としては異例ではありましたが、被災地支援のための義援金を呼びかけました。その結果、全国から一億円を超える義援金が寄せられ、被災地である能登へと直接お届けすることができました。かつて神戸が支えられたように、今度は私たちが支える。この絆を具体的な形として届けることができたことは、私自身の活動の大きな原点となっています。
「どんなに街が壊れても、未来を創り出そうとする力が、私たちには備わっている」
昨年の追悼の言葉に込めたこの確信は、今、私を突き動かす最大の原動力となっています。神戸の街は、この街を愛する多くの人々の努力と支援により、蘇りました。しかし、今なお全国では災害の脅威が絶えず、多くの方々が不安の中にいます。
私は決意しました。神戸が31年かけて紡いできた「命を守る絆」と「復興の教訓」を、一自治体の枠を超え、国政の場で活かしていくこと。それが、神戸を愛する一人として、そして政治に携わる者としての「恩返し」の最終形であると信じているからです。
私たちの命は続きます。この街で紡がれた絆を、これから生まれ育つ次の世代へ引き継ぎ、誰もが誇れる安全な未来を創造することを、改めてここに誓います。本日、この新たな一歩を踏み出す自分自身への誓いを確認するために、現在作成を進
めている「防災・減災ビジョン」の草案を公開いたします。まだまだ完成途上のもの
ですが、この震災の日に、不退転の決意を込めてまとめました。
【坊やすなが 防災・減災ビジョン(草稿)】
防災・減災ビジョン:神戸の教訓を、全国の「命」を守る力へ。(草稿)
犠牲になられた方々の御霊の安らかならんことを心よりお祈り申し上げます。
令和8年1月17日
坊 やすなが